「ウェルネス」と「ウェルビーイング」の決定的な違い

働き方改革の議論の進展に伴い、日本でも「ウェルネス」や「ウェルビーイング」という言葉がよく聞かれるようになってきている。

「健康」と同義的に扱われる「ウェルネス」と「ウェルビーイング」だが、この2つには大きな違いがある。

ハーバード・ビジネス・レビューなどに寄稿する同分野の専門家ジム・パーセル氏の説明が明快で分かりやすい。

まず「ウェルネス」の意味について。パーセル氏は、ウェルネスという言葉は、health(健康)と強い関連を持ち「身体的な健康」という意味で使われることが多いと指摘する。

欧米企業においてこれまで「ウェルネス・プログラム」が数多く導入されてきた。その多くが、運動不足、肥満、高血圧、喫煙などを対象にしたプログラムだ。社員が身体的に健康になれば、企業の医療費負担が減るという目論見から、ジムのメンバーシップや減量プログラム、健康食導入などの取り組みが実施されてきた。

一方、単に「身体的な健康」を改善するという目的だけでは、ROI視点で思ったほどの成果が上がらなかったことが判明。このことは、ランド研究所の調査などによって明らかになったという。

身体的に健康になれば、医療費が減るだけでなく、仕事の生産性が高まり、ROIにポジティブな影響をもたしそうなイメージだが実際はそうではないようだ。

パーセル氏は、ウェルネスというコンセプトでは戦略的かつ構造的に「健康を文化とする」包括的なプログラムを構築することが難しいからだと指摘する。

そこで重要になってくるのが「ウェルビーイング」というコンセプトだ。

ウェルビーイングは、単に「病気がない」という状態を指すのではなく、身体、精神、感情などさまざまな要素の健康状態を実現し、幸福感や達成感、目的意識などを持ち人生をポジティブに捉えられる状態を意味する。

パーセル氏は、高いレベルのウェルビーイング状態にある社員は、心身とも健康であるだけでなく、高い集中力と生産性を持つ傾向が強いと指摘する。

米調査会社大手ギャラップの会長兼CEOであるジム・クリフトン氏も、次世代のリーダーが気にかけるべき最も重要な指標は「ウェルビーイング」だと主張。ウェルビーイングによってもたらされる高いパフォーマンスや生産性、また医療費の削減レベルは無視できないものだと語っている。


ギャラップの会長兼CEOであるジム・クリフトン氏(ギャラップウェブサイトより)

英国のウェルビーイングシフト、70%近い企業で戦略実施

「ウェルネス」ではなく「ウェルビーイング」にフォーカスすべきという考えは、ギャラップCEOのクリフトン氏だけでなく、欧米のビジネスリーダーの間で広く認知されてきているようだ。

英国リワード・エンプロイー・ベネフィット・アソシエーション(REBA)の2019年の調査では、ウェルビーイング戦略を実施しているという英国企業の割合が68%と前年比で20ポイント近い伸びを見せたことが明らかになったのだ。この割合は、2016年には29.8%という低い数字だった。この数年で急速に伸びていることがうかがえる。

パーセル氏が指摘するところでは、職場におけるウェルビーイングの取り組みでまず重要になるのが、過度な精神的・感情的なストレスを低減させることだ。このようなストレスを受け続けることで、やる気の減退や生産性の低下を招くだけでなく、心身に深刻な健康被害をもたらす可能性が高まるからだ。これは企業にとっても、深刻なコストとしてのしかかってくるため無視できない問題だ。

REBAの2018年の調査では、72%の英国企業が社員のウェルビーイングにとって最大の脅威は過度なプレッシャーを生み出す職場環境だと回答しており、精神的・感情的なストレスのリスクについても広く認識されていることが示されている。

英国の多くの企業でこのような危機感が醸成されているのはなぜか。1つは、社員の健康状態の悪化とそれに伴う生産性の低下による損失が深刻な水準に達していることが挙げられる。

保険サービス企業VitalityHealthとケンブリッジ大学などが実施した調査(2018年1月)によると、英国では病気でも休まず出社し低い生産性のまま仕事をする社員が増加。この生産性の低下による経済損失が770億ポンド(約10兆円)に相当することが判明したのだ。これは「presenteeism」問題としてBBCなどが大々的に取り上げるほど、英国全土で懸念される問題となっている。

英国で労使関係のアドバザリーサービスを提供する政府機関ACASは、こうした状況を受け、ウェブサイトに職場でウェルビーイングを実践するためのガイドラインを提示。上司や同僚との人間関係や仕事の裁量などがウェルビーイングに影響するとし、人間関係をマネジする効果的なポリシーの策定や仕事の最適化などを推奨している。

パーセル氏が挙げるウェルビーイング改善のための施策には以下のような取り組みが含まれている。ストレスを低減させるためのフィナンシャルカウンセリング、瞑想・ヨガ、サポートグループ、メンタルヘルスサービスなど。


ウェルビーイングを高める瞑想

実際のウェルビーイングの取り組みとしては英ブランドコンサルティング企業Space Doctorsが興味深い事例を示している。同社が実施しているのは「back to school休暇」。1週間有給で興味のあることを学ぶことで、ウェルビーイングの要素である人生の目的や達成感を刺激するのが目的だ。クリエイティブ・ライティングやスタンドアップコメディなど、人生の目的・楽しみごとにさまざまな学びが展開されている。

同プログラムの責任者ロージー・ピクトン氏はガーディアン紙の取材で、同プログラムは社員が自身のアイデンティティを見つめ直す機会を与えるもので、これまでのところうまく機能していると語っている。

欧米を中心に広がるウェルネスからウェルビーイングへのシフト。今後さまざまな具体策、成功事例が増えてくることが見込まれる。日本の働き方改革でも参考になるのは間違いないだろう。

[文] 細谷元(Livit