世界で、そして日本でも増え続けるベンチャー企業やスタートアップ。IT社長、ベンチャー社長といった形でのメディア露出も多く、リッチな若者が自由で豪華な生活を謳歌しているイメージが強い。華々しく活躍する起業家やスタートアップの創始者だが、いま世界では彼らのリアリティに改めて注目が集まっている。

世界中で増え続ける起業家

現在、世界に5億8200万人いるとされる起業家。これは世界の人口のほぼ8%、もはや世界経済の牽引役と言っても過言ではない。しかしながらいま、これまでタブーとされてきた起業家の闇の部分に焦点が当てられつつある。それが彼らのメンタルヘルス、精神衛生だ。

近年の起業家、スタートアップの創始者は、頭脳明晰でクリエイティブ。新しい市場のニーズを発掘し、テクノロジーをもってして未来図のような社会を実現させていく人たちだ。

「世界を変えた人」と称される故スティーブ・ジョブズや、スペースXとテスラのイーロンマスクに代表される現役の起業家たちの数は世界中で増加の一方。また社会も彼らのイノベーションに大きな期待を寄せているのも事実だ。

起業家を悩ませるもの。ある起業家の告白

そんな彼らを悩ませているのは、投資家でも従業員でもマスコミや税金でもない――精神疾患だ。

これまで、自身の不安や脆弱性、精神疾患を口にしたり、認める起業家はいなかった。というのも、彼らは成功していくうえで、印象操作の達人となっていたからだ。起業家としてビジネスリーダーとして理想像を保つため、自身の心の闇を公表しない傾向が強かった。そして今なおその傾向は変わらない。

しかしながら、このきわめて不健康な傾向のせいで究極の悲劇も起きている。相次ぐ起業家の自殺だ。起業家の自殺防止に注力する組織、カーソンJスペンサー・ファンデーションのCEOはインタビューで「一般人に比べて起業家は、自身の精神疾患についてオープンに語ろうとしない傾向がより強い」としている。

依然として繊細なトピックである「うつ病」や「スランプ」について、起業家で最初にカミングアウトしたのはブラッド・フェルドだ。ブラッド・フェルドはアメリカの起業家・スタートアップ業界の第一人者で、その界隈から尊敬を集める人物。有名な彼がブログで、うつ病に悩んでいた黒歴史を明かし、メディアでも取り上げられ注目された。

彼は、近年ようやく起業家たちは自身の「失敗」を認め、賛美し始めるようになったものの、個人の精神的なスランプや神経衰弱については隠す人が主流、と指摘。少しずつ状況は改善しているものの、ITテクノロジー部門において、この問題の解決には長い道のりが待っていると語る。うつ病に対する不名誉な感覚を払拭し、ビジネスリーダーは暗闇から這い出すこと、そして部下たちはそんなリーダーを決して非難せず、弱みを見せたリーダーに寄り添う姿勢すら見せるべきだとしている。

起業家に多くみられる精神疾患

カルフォルニア大学の心理学者Freeman博士の調査結果によると、起業家の49%がADHD(注意力欠損運動過剰障害)や躁うつ病、依存症、不安症といった精神疾患を経験し、うち30%が二つ以上の疾患を経験している。アメリカの平均が32%であることと比較しても、起業家の病が深刻であることがわかる。心理学者たちは、起業家となり得る人たちは頭がよくて創造性に長け、情熱的がゆえに起業家として成功する一方で、精神疾患の患者にもなりやすい両刃の剣だとしている。

なかでも、うつ病は自殺の主な原因であるから、非常に危険な統計である。実際に、アメリカ最大の掲示板サイトRedditの共同出資者は2013年に26歳で自殺、同年Ecomomの創始者が47歳で拳銃自殺し、続いて彼の同僚が翌年自殺。2015年には31歳のスタートアップCEO、29歳のCEOが命を絶っている。これはほんの一例に過ぎない。

もちろん、起業家だけでなく誰でもうつ病やスランプに陥る可能性はある。しかしながら起業家は特異な仕事環境や、ジェットコースター並みに上り下りが激しいライフスタイルゆえに、その罹患率と深刻さがより根深い。しかも起業の90%が失敗に終わるという統計もあり、企業家だけでなく現代社会全体の懸念事項だ。

気軽に利用できるオンラインサービス

そこで登場したユニークなサービスがある。オンラインで「聞く」サービスを提供するというものだ。ヴァージニア州の会社7カップス・オブ・ティーが、シンプルに「誰かに聞いてほしい」と願っている人たちをサポート。起業家だけでなく、子供や女性、LBGTの相談も無料で受けている。

オンラインチャット7カップス・オブ・ティーCopyright © 2019 7 Cups of Tea

サービスは365日24時間、オンラインチャットでの会話がベース。同社の研修を経てテストに合格した、数千人のボランティアスタッフが、悩める人たちの話を聞く。

アカウントを作成する必要はあるものの基本無料、もちろん匿名制だ。状況に応じて有料の専門医や有資格セラピスト、カウンセラー、緊急の場合は自殺制御ホットラインへと引き継ぐこともあるが、強制ではない。また応答するボランティアのほとんどが専門医ではないため、医療上、セラピー上のアドバイスは決してしない。2013年から今までに約3900万人もの利用があり、平均21分の会話、月におよそ13万件の相談を受けているという。

孤独との闘い


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同社は、特にIT部門のリーダーや従業員たちに、より気軽に支援を求めるよう、同業者同士支え合うよう奨励している。起業家の仕事は自由な一方、一人で仕事の時間を決めなければならず、手続き上避けられない「面倒な作業」を一人でこなさなければならないことも多い。ある時ふと良いアイディアが浮かんだり、日常の出来事があったとしても、それをすぐに共有できる同僚がいないなど、孤独な世界の現実を突きつけられる場面が往々にしてある。

この組織のゴールはシンプルだ。ストレスや不安についてオープンに語り、誰かに「大丈夫だよ」と言ってもらうこと。そして、そうした不安感は決して恥ではないと思えるようになること。どんな時も一人じゃない、困難な時は誰かが支えてくれている、と思えるようになることだ。

それは心理学上、こうした孤独感が様々な精神疾患の起因だと考えられているからで、何よりの治療は近しい友人や家族の支えだ。ただ普通に家族や友人と一緒にディナーの食卓を囲むだけで、孤独から解放され心のケアとなるはずだが、起業家の生活パターンではなかなか実現しがたいのも現実だ。

忙しくてセラピーに通えない起業家たちのような人々が、オンラインチャットを利用し、話を聞いてもらうことでヒーリングが始まるとする心理学者も多い。スタートアップの創始者、それが典型的なシリコンバレーの鼻持ちならないCEOであっても「聞いてもらう」という人としての基本的なニーズがあることに変わりはない。

特に、投資家や従業員、顧客、最新テクノロジーへのアップデートのすべてが彼らの責任としてのしかかる起業家は、期待値と現実のギャップが大きければ大きいほど、ストレスがたまり精神疾患を引き起こす可能性が高くなるからだ。

ワーク・ライフバランスの模索

人に話し、聞いてもらうことも大事なセラピーであるが、仕事から離れることもまた重要なセラピーだ。ただ現在の起業家にとって、これはなかなかハードルが高い。スタートアップの代表が1か月もバカンスを取って不在、などという悠長な事態は現実的でないだろう。

ただし大企業ではそれも可能だ。オーストラリアの大手会計事務所、アーンスト&ヤング・オセアニアでは社員に12週間の「人生休暇」を与えると発表し注目されている。12週間といえば、実に丸3か月の休暇だ。

この人生休暇の取り方には2パターンある。子供の学校の休みに合わせて完全な休暇を取るパターンと、1回ないし2回に分けてその期間をパートとして働く、つまり時短勤務をするパターンだ。どちらも、プライベートの時間を増やし、家族との時間や、自分磨きのための時間を確保することが目的。仕事をしながら人生のゴールを達成することが可能になれば、仕事のモチベーションが上がると同時に社員の退職を防止できるとしている。長期の休暇は、ネパールで登山、ハワイでのんびり、途上国へ出かけてボランティア活動をするのも自由だ。ただし、この人生休暇は有給休暇ではない。金銭に関係なく、人生を謳歌したい人に向けた休暇であることが名前の由来でもある。

一見突飛なこのアイディアも、現代社会に一石を投じるであろう。社会が変わり、働き方が変わっていく中でテクノロジーの進化は仕事と家庭(プライベート)の境界線を取り払っているからだ。

たとえITテクノロジー部門に従事していなくても、スマホに業務上の連絡や、メールが24時間365日昼夜関係なく飛び込んでくる時代。休暇に出ているから、という言い訳でメールの返信をしないなど、もはや通用しない社会になりつつある。ましてや個人事業ともいえる起業家やスタートアップでは、メールのレスポンスや社会情勢へのタイムリーな反応が会社の明暗を分けるかもしれない。だからこそ、こうした長期休暇の試用や、短期でも完全に仕事から切り離されることの出来る休暇についての模索や議論がより一層深まることだろう。

起業家のきらびやかな生活がもてはやされ、強さはリーダーの証、などといった長年の潮流の中で、彼らがオープンに弱さを吐露できる社会へと向かえるかどうか。社会全体の精神衛生が、人々の命を救うかどうかの分かれ目にもなる時代になっているようだ。

文:伊勢本ゆかり
編集:岡徳之(Livit