沿線のコミュニティ化

日常会話の中で、「〇〇線ユーザー」という言葉をよく耳にする。その際、相手が自分と共通の路線を利用していると妙な親近感を抱くものだ。これは、同じ駅や街に過ごしていなくても、路線が両者をつなげることで小規模コミュニティから中規模コミュニティが形成される証である。

オシャレなイメージのある路線、セレブなイメージのある路線、ビジネスイメージの強い路線など路線ごとに特色があり、引っ越しの際はその特色を踏まえてどの路線沿いを生活拠点にするか考えることも多い。そんな中で、「生活名所」として生活のしやすさを押し出している路線が東急池上線だ。

東急池上線は、昨年10月に「池上線フリー乗車デー」と題し、東急池上線を1日無料で巡れるイベントを開催し、話題を集めた。

「観光地はない。だから生活に寄り添う」乗車1日無料を実施する“都心のローカル線”の戦略

90周年を迎えた昨年にこのような取り組みをした背景には、東急池上線沿いを生活名所としてブランディングしたいという想いがあった。有名な観光名所こそないが、人々の暮らしを支える名所が豊富で、人情感や下町情緒あふれる街には生活に密着した心地よさがある。

「池上線フリー乗車デー」の実施により、延べ56万9000人(前年比371%)が東急池上線に乗車し、東急池上線の認知度は63.7%(イベント前54.3%)と約10%も上昇。東急池上線沿いに多くの人が訪れて一帯が活気づいた。

今年は同時多発的な「池上線全線祭り」を開催

こうした流れを受けて、東急池上線が今年行うのが「池上線全線祭り」だ。昨年同様、東急池上線が通る品川区・大田区の地元商店街や店舗、住民、企業と連携し、東急池上線全線各駅で大小様々な催事を開催する。開催期間は11月23日(祝・金)~24日(土)の2日間だ。

 

戸越銀座駅、池上駅の商店街では歩行者天国にテーブルを設置し、地元商店街の料理を食べ歩きできる「ストリート・ビュッフェ」を実施。洗足池公園にあるボートハウスでは特設カフェスペースの設置や洗足池を遊覧できるスワンボートを一部無料開放するほか、サッポロビール(株)、ポッカサッポロフード&ビバレッジ(株)の特別協賛による「乾杯電車」を運行し、車内でレモンサワーを楽しむこともできる。さらに、西郷隆盛や勝海舟にゆかりの深い洗足池周辺や池上本門寺では、鹿児島県産の食材などを使用した「勝丼」「せご丼」を販売する。

また、一般社団法人「Tokyo Good Manners Project」の企画協力を得て、東京の街のマナーの良さが魅力ある街づくりの重要な要素であることを体感できる仕掛けも取り入れる予定だ。


<戸越銀座ストリートビュッフェマップ>


<池上ストリートビュッフェマップ>

今回の企画について、東急電鉄・平江課長に話を伺った。

実績と熱意が全線イベント実現を生んだ

平江氏「昨年に引き続き東急池上線のブランディング施策第二弾を実施する運びとなりました。そもそも東急池上線は他の沿線とつながっていないので、街全体を活性化しなければ乗降客が減ってしまうのです。

昨年のイベント時は住民の方にも非常に喜んでいただき『こうしたイベントを積極的に開催したい』という声がたくさん上がりました。地元の方々と私たち東急電鉄との信頼関係を築くこともできました。

また、我々の熱意が地元の方に伝わったこともイベント実現に大きく貢献しました。東急池上線のブランディングは、東急電鉄だけでやろうとしても絶対に実現できません。形式的な外枠だけのブランディングではなく、内容の伴ったブランディングにするためにも地元の方々と連携して行う必要がありました。ブランディングに関してずっと話し合ってきた経緯もあり、今回のイベント開催に快く賛同していただけました」

その一方で、苦労もあった。

平江氏「賛同は得られたものの、スケジュール設定には苦戦しました。商店街によって事情があり、希望の日程がそれぞれ違うのです。また、地域ごとに多少の温度差があり、イベントを不安視する商店街もありました。

こうした慎重な姿勢の商店街の方々は、他の商店街の方々が説得してくださいました。私たちが全体に向けて東急池上線の現状を伝え、昨年のイベントの実績を振り返りながら『また街を盛り上げましょう』と声をかけた結果、前向きでやる気のある商店街の方が慎重な姿勢の商店街の方を説得してくださったのです」

こうした想いが実を結び、行政とも連携できた。

平江氏「東急池上線は大田区・品川区の山側にあります。行政はこれまで海側のまちづくりに積極的だったのですが、これからは山側にも目を向けなければならないという考えがあり、我々と意向が一致しました」


<昨年、地域の協力と共に実施した池上線フリー乗車DAYの様子>

「より多くの人に池上線の魅力を体験してほしい」

平江氏「今回のイベントには東急池上線の魅力を知ってほしいという想いがこめられています。私たちは東急池上線の認知度の低さに対する危機感が強く、認知度向上に力を入れたいと考えていました。

イベントを東急池上線全線に拡大したのは、ひとえにより多くの人に池上線の魅力を体験してほしいと考えたからです。自分の目で見て体験しなければわからない魅力がたくさんあるので、イベントをきっかけに東急池上線をより深く知ってほしいです。何かしらのきっかけがなければ、東急池上線に足を運んでもらうことはできません。『池上線全線祭り』をきっかけに、東急池上線を知り、街を体験していただきたいと願っています」

沿線コミュニティの形成へ

このような想いから様々な企画を実行している池上線が目指しているのは沿線のコミュニティ化だ。

平江氏「『池上線全線祭り』により、一体感があるひとつのコミュニティが誕生します。人と人とがつながることによって街は活性化しますから、各駅で独立するのではなく複数の駅がつながることが重要なのです。正直、隣り合った駅の商店街同士でもさほど接点はなく、お互いのことをよく知らないというケースはよくあります。しかし、今回の『池上線全線祭り』を一緒に取り組むことで、違う駅の商店街同士が顔見知りになり、つながりが生まれると考えています。

現段階ではまだ実現できていませんが、駅と駅とを結んだ商店街のイベントも今後生まれる可能性があります。東急池上線が媒介になることによって、新しい街同士のコラボレーション、つまりコミュニティが生まれようとしているのです。より大きなコミュニティになればなるほどできることの幅が広がり、より大きな魅力を発信できるでしょう。

ひとつの商店街単独で何かを開催するのはハードルが高く、なかなか実現しません。コミュニティ化していろんな商店街と連携することよって、今までになかった相乗効果が生まれていきます。小さな街が活き活きと輝き続けるためにも、駅や街を越えてつくられる沿線のコミュニティづくりは重要だと感じます」

三位一体で強化する東急池上線のブランディング

平江氏「今後も生活名所として様々なことを企画し、まずは体験してもらえるよう働きかけていきます。池上線沿線の良さを知るたびに池上線に対する良いイメージを形成でいる体験を提供していきたいです。

東急池上線は認知度が低いものの、実際に住んでいる方の満足度が高いことが調査によりわかりました。住んでいる方々は人情味があり優しく、交通の便が良いからです。こうした魅力をしっかりと伝えて『東急池上線沿いの街は住み心地を大事にし、温かく便利な暮らしやすい街だ』というイメージを持っていただけるブランドとして成長させていこうと考えています」

ブランディングは蓄積が重要であり、たった数年では実を結ばない。5年10年と継続することに意味がある。昨年から大田区・品川区と協議を重ねている東急電鉄は、東急・行政・商店街や街の人々が三位一体になったブランディング活動の継続を目指す。平江氏は「いつか『住みたい街ランキング』のトップ20に東急池上線の駅がランクインすることが夢です」と笑った。

取材:木村 和貴
文:萩原 かおり