“言葉”というツールで経済と文化をつなぎ、広める。メルカリ社初のコピーライター・長嶋太陽

生まれて初めて、自分のお金で購入したCDの名前を、覚えているだろうか。CDケースに同封された歌詞カードに書かれた一節を、今でも思い出せるだろうか。小学校の夏休みに読んだ文庫本は、心の養分となったはずだ。

文化的な物事は人生に大きな影響を与える。しかし、資本主義社会において、定量的に計測できない文化の価値は重視されない。「経済合理性」のみを追い求める社会は果たして健全なのだろうか。

メルカリ社初のコピーライターである長嶋太陽氏は、資本主義社会のルールのなかに立ちながらカルチャーへの熱意を貫く。「経済と文化の間に立ち、双方を接続してゆきたい」と語る長嶋氏は、なぜ“フリマ”で新たなエコシステムを生み出す同社で、挑戦をするに至ったのか。

フィンスイミング日本代表だった17歳。異国の地で初めてのクラブナイトを経験する。

長嶋氏が新卒で大手広告代理店に入社した背景には、17歳でフィンスイミング日本代表としてユース世界選手権に出場した経験がある。

世界選手権の舞台となったのはポーランド。各国代表選手が参加するオフィシャルなパーティーがクラブで開催された。長嶋氏にとっては初めての空間。そこで誰もが自由に自己を表現し、形式にとらわれず楽しむ姿を目の当たりにし、日本で培った価値観とのギャップに驚いたのだという。

長嶋「当時、ポーランドは経済的に発展していなく、スニッカーズが日本円換算で30円でした。街全体がどこか寂しげで、アウシュビッツ収容所が象徴するような暗い歴史が今も社会に影響を与えているのかもしれない、と思い当たりました。

さまざまなカルチャーショックに遭遇したのですが、特にアフターパーティーに出席したときは心底驚きましたね。いわゆる「クラブ」で開催されて、前述の街の印象とは真逆、世界中のユース選手たちが心から楽しんでいました。オフィシャルな国際大会のアフターパーティーがそういう場所で開催されるのは日本ではありえないことです。けれど、ポーランドではそれが当たり前でした。」

ポーランド代表のコーチに話を聞くと、「ポーランド人にとっては、人を楽しませることが一番の礼儀なんだ」との返答があった。娯楽の少ない町で生きる人々にとって最も重要なのは「楽しませること」。そのとき初めてポーランドの人の気持ちが理解できた、と長嶋氏は語る。

この体験を契機に、過去と現在は繋がっており、歴史、経済、社会、そして文化は相関関係を持っているのだと実感したという。そして、同時に、一つの事象の多面性を捉える機会の乏しさに気づくことにもなった。

この原体験が、現在コピーライターとして活躍するまでのキャリアパスの最初のきっかけだ。

長嶋「ニュースでは、どうしても『起きたこと』だけにフォーカスせざるを得ません。もっと複合的に伝える仕組みが必要なのではないかーーそんな出発点から考えて、まずはメディアの仕組みそのものである広告代理店の門を叩きました」

感情を言葉に置き換えるという作業には昔から興味があった。四季の移ろいに対する感覚を適切に言葉にできないことを、幼少期から不思議に感じていたそうだ。本や音楽は、「幼い頃の自分を救ってくれたもの」だともいう。

抱き続けていた「言葉への好奇心」と、「メディアにまつわる仕事がしたい」という思いが重なり、電通のコピーライターとしてファーストキャリアをスタートした。

「自分の人生を、自分で選べない」ーーコピーライターから、編集者へ転身

クリエイティブの世界で生きていくチャンスを掴み、輝かしい成果を夢みた。かつて自分を救ってくれた“言葉の世界”で生きていけると、未来に思いを馳せた。しかし同時に、意図せずやってきた突然のチャンスに違和感を持つこともあったという。

長嶋「昔から読書は好きでしたが、特別な教育を受けていたわけでもなく、専門的な技能を持っているわけでも、過去に実績があったわけでもない。それでも名刺には『コピーライター』と刻まれている。肩書きと自分の能力が乖離しているのではないかと葛藤がありました」

言葉への思い入れは人一倍強かったが、「気負っていたし、とにかく全然ダメでした」と当時を振り返る。元を辿れば広告クリエイティブに対する強いモチベーションを持って入社したわけではなく、不安と葛藤が尽きない毎日のなかで、それでも結果を出そうと食らいついた。

そんな矢先、営業部への突然の異動を告げられる。コピーライター職種への適性をみるテスト期間をパスしていたにも関わらずイレギュラーなタイミングだった。

長嶋「正直、落ち込みました。会社という組織において異動というのは避けられないものですが、自分の人生を選べないのって、よく考えると変ですよね。営業職に興味がなかったわけではないですが、そもそもこのまま一生広告代理店で働き続けるのか?と考え直すきっかけにもなりました」

この転機をきっかけに、「自分の人生を自分で選びたい」という価値観が強固なものになった。幼い頃から興味を持つ“言葉”を軸に、キャリアを積み上げていこうと覚悟を決める。

音楽や文学などに影響を受けながら育った長嶋氏は、「自分の人生観は、ビジネスとは縁遠い価値によってつくられた」と語る。資本主義の第一線で働くなかで、「文化的な価値に目を向ける人が少ない」と危機感を覚えるようになった。

長嶋「紆余曲折あって、ファッションやカルチャーを提案するウェブマガジン『HOUYHNHNM(フイナム)』の編集部員に応募しました。もともと大好きなメディアで、そこで自分の好きなものについて伝えてゆけたら、こんな幸せなことはないんじゃないかと考えたんです」

“カルチャー”の側に立ちながら、メルカリ社初のコピーライターになった理由

編集者に転身し、仕事にかける熱量が高まった。「ずっとこの世界で生きていきたい」とさえ思った。しかし、無我夢中で働く最中、とある不安に襲われた。

長嶋「3年間編集者として全力で働いてきて、素晴らしい経験をさせてもらいました。本当に大好きなメディアで、自分の信じるものを伝えることができたのは幸せなことです。しかし、ふと立ち止まってみると、向き合っているファッションやカルチャーのマーケットがほとんど広がっていないことに思い当たったんです。闇雲に拡大することを志向するわけではないですが、メディアの重要な役割には、「広げる」という機能があります。自分自身の未来のキャリアが見えにくくなっていたことも重なって、このままでいいのだろうか?と考えるようになりました。未来に対する自分なりの正義がわからなくなって、ずいぶん悩みましたね」

“次なる一手”について思い悩むタイミングで、思いがけず長嶋氏の心を掴んだのがメルカリ社だった。

長嶋「メルカリのビジネスは、タンスのなかに眠っていたモノを、お金という“価値”に変換します。今までになかった新たなお金の流れができていて、そのエコシステムは今後拡大していくだろう、と感じました。そしてそこにはカルチャーのマーケットを広げるチャンスと、編集的な喜び、メディアというシステムに代わるような新しい可能性があると考えたんです」

長嶋氏は、転職後に手がけたとある記事を通して、その思いをより深めていく。90年を代表するアーティスト・m-floの☆Taku Takahashi氏のインタビューだ。

「90年代は社会全体に潤沢なお金があり、新しいカルチャーに投資する余裕があった。現在は社会にお金が循環していないから、それができない。経済を無視していては、文化を支え、広げることができないんです」ーー☆Taku Takahashi氏の発言から引用。

長嶋「資本主義的な価値観は自分にとって重要なものではありません。ただ、☆Taku Takahashi氏のインタビューを通じ、社会にとって健全な経済の流れが必要なのだと改めて感じたんです。メルカリでならそれが実現できるのではないか、と改めて考えるきっかけになりました」

経済と文化がなめらかに接続される、健全な社会を目指して

長嶋氏は、メルカリ社のサービスや社会に与える価値を、「素直に素晴らしいものだと感じている」と語るが、あくまで「第三者目線を持ち続けたい」と語る。

長嶋「メルカリというサービスには経済の不均衡を是正するポテンシャルがあると感じます。あくまで第三者的な視点を持ちながら、「伝える」ことに向き合い、企業の一員として仕事を全うしたいと思っています。社内では、コピーライターと便宜的に名乗っていますが、全社のミッションから細かなワーディングルールの管理まで、「伝える」にまつわるアシストをさまざまな粒度で行っています。

また、副業推奨ということがとにかく重要なポイントでした。編集・ライターの仕事も積極的に受けていけるので、会社と個人の垣根なく、既存の働き方・考え方に捉われないさまざまな挑戦をしていこうと決意しています」

メルカリ社のサービスを、クリエイティブによってより価値のあるものにし、経済と文化の接続をなめらかに後押しする。一方で個人としてのライター業にも全力で取り組む。そうして豊かな社会をつくることが、長嶋氏が掲げる大きな目標だ。

長嶋「優れた文学作品を読むと、“言葉”というツールの奥深さと可能性に感動して、同時に自分の未熟さを痛感するのですが、微力ながらその領域の一端に関われていることがすごく嬉しいですね。

経済と文化、その双方が絡み合って社会は成立しています。優劣はないですし、比較するものでもない。ただ、文化の側に立つ人が少なすぎるな、とは常々考えていることです。たとえば、芸術というと難しく捉えられがちですが、美しいものをシンプルに美しいと感じたり、自分なりに想像したり、そういった体験が何よりも大切だと思っています。大きく括ってしまいますが、文化的なものごとの素晴らしさを広めながら、双方が共存する一助になれたら」

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