国立研究開発法人 海上・港湾・航空技術研究所 電子航法研究所の主幹研究員として世界で活躍する女性研究者・伊藤恵理氏は、著書『みんなでつくるAI時代 これからの教養としての「STEAM」』にて、AI時代を生き残るには基礎教養「STEAM」が必要だと述べる。

「STEAM」とはS(科学:Science)T(技術:Technology)E(工学:Engineering)A(美術:Art)M(数学:Mathematics)を指す。すでに欧米やアジア諸国でもSTEAM教育に力を入れていて、優秀な研究者やビジネスパーソンはSTEAMを踏まえたコミュニケーションでチーム全体を動かしている。

AMP共同編集長 木村が、AI時代の波を乗り切るためにこれからのビジネスパーソンに求められるSTEAMについて、伊藤恵理氏に話を伺った。

伊藤恵理
1980年京都府生まれ。東京大学大学院博士課程修了(航空宇宙工学専攻)。ユーロコントロール実験研究所、オランダ航空宇宙研究所、NASAエイムズ研究所などを経て国立研究開発法人海上・港湾・航空技術研究所電子航法研究所主幹研究員に。日本学術会議の連携会員や、国際航空科学会議(ICAS)の若手アカデミー委員長も務める。「空はひとつ」をモットーに、21世紀の航空管制を研究している。2012年TED×Kyotoに登壇。東京大学大学院での特別講義や、企業等での講演も多数こなす。著書に『空の旅を科学する』(河出書房新社)、『みんなでつくるAI時代 これからの教養としての「STEAM」』(CCCメディアハウス)がある。

ジブリ映画『紅の豚』を観て、女性研究者の道へ

伊藤氏が研究者の道を選んだのは、ジブリ映画の『紅の豚』に登場する女性飛行設計技師フィオに憧れたからだ。子どもの頃の伊藤氏にとって、飛行機は夢と冒険の象徴だった。人気職種のキャビンアテンダントやパイロットではなく「飛行機の作り手になりたい」と願い、飛行機を作りたい一心で、女子高から男子ばかりの工学部へと進学した。しかし、その頃の日本では国産の民間機を作れないことを知り、愕然としたという。

「そこで2年間もやる気をなくしてしまったんですが、航空工学や制御工学といったハイテク飛行機の自動操縦に関する研究に出会いました。これからの人間とコンピュータが共存する時代を切り開く研究に興味を抱き、その後は航空管制の科学研究に進みました」

航空管制は安全でスムーズな“空の交通整理”を担う。現在では、常時6000機以上の飛行機が世界の空を飛んでいる。従来のやり方では今後も世界的に増加する航空交通量を処理できないため、交通管理に新しく科学的なアプローチを取り入れたのが航空管制科学だ。

「研究を始めた駆け出しの頃は『なんとかしてこの道で食べていかなければ』という強迫観念に後押しされ、ただただ走っていました。でも、キャリアを積むにつれて、社会人としての厳しさだけではなく喜びも学び、ようやく仕事を楽しめるようになりました。十数年かかりましたね。

私を大きく変えてくれたのは海外経験です。ヨーロッパに行った時、若手の研究者をとても大切にしている風土を感じました。日本では出会えないような人にもたくさん出会って『世界はこんなに広くて、こんなに多様な考え方があるんだ!』と刺激を受けました。それからグローバルに活躍する研究者として生きていく道にシフトしたんです」

現代人が抱える“AI恐怖症”の克服法

伊藤氏がコンピュータ社会における航空管制について書いた初の著書『空の旅を科学する』を出版した後の同窓会では、数々の友人に「AIやロボットに仕事は奪われてしまうのか」「自分の子どもたちには何を教えたらいいのか」といった不安まじりの質問を投げかけられたという。

「科学技術で変わる未来は予想できていても、具体的な対応がわからずに悩んでいる人がこんなにいるんだと知りました。これからのビジネスパーソンは、AIなどを含む科学技術の情報が錯綜するなかで新しいビジネスモデルを提案していかなければいけないんです。

ただ、AIの普及を脅威だと捉える考え方には疑問を感じます。『AIによって地球は滅びる』『AIが人間を超える』といったシンギュラリティ(テクノロジーの進化により人間の生活が急変する技術的革新)は現実的ではないですし、理想的な未来でもありません」

将棋など既定のルールがある完全情報ゲームでAIが人間に勝つケースもあるが、全てにおいてAIが人間に勝るわけではない。人間のような想像力を持たないAIは、情報が行き交う「モヤモヤとした」世界で模索し、解くべき課題を見つけ出す抽象化能力がないからだ。

「1憶のビッグデータから1を知るのがAIなら、1を聞いて10を知るのが知性のある人間です。たくさんの情報を集めれば、AIがパズルを完成させることはできるでしょう。でも、情報の多さがかえって混乱を招くミステリーのような問題が、世の中にはたくさん存在します。そして、想像力に長けた優秀な人間は、ミステリーを解くことができます。

こうした違いを活かして、単にAIと人間で仕事を奪い合うのではなく、人間の創造的な仕事を補助するためにAIを活用するのが最も理想的ではないでしょうか。だから、AI時代に求められるのは『未来の社会がこうなってほしいから、そのためにはこのような科学技術が必要だ』という私たちのビジョンだといえます」

成熟しているヨーロッパ社会は、こうしたビジョンをまとめる能力が高い。世界各国を飛び回る伊藤氏は、都市を人の「年齢」に置き換えて考察する。歴史があり多種多様な人種が生きるヨーロッパは豊富な知恵袋を持つ熟年層で、他者との違いを認め合える価値観が根付いている。急成長を遂げているシンガポールなどのアジア諸国は、勢いのあるティーンエイジャー、という風だ。

それに対して、日本はまるで30代後半から40代に差し掛かった頃。若くもなく、熟し切ってもいない中間の年代だ。今をどう生きればいいのか? これから上手に歳を重ねることができるか、大きく左右する分岐点に立っているという。

「そこで、理系の人にはもちろん、理系知識がない文系の人でもわかるAI時代の指南書として『みんなでつくるAI時代 これからの教養としての「STEAM」』を書きました。海外の研究者やビジネスパーソンから学んだコミュニケーションの極意であり、これからの時代を生き抜くために必要な教養がSTEAMです」

STEAMが時代に負けない強いチームを作る

基礎教養「STEAM」とは、S(科学:Science)T(技術:Technology)E(工学:Engineering)A(美術:Art)M(数学:Mathematics)の5つの要素からなり、AI時代のビジネスコミュニケーションの鍵を握る。

科学により物質的世界を理解するが、数学なしに科学を追求することはできない。工学は科学と数学を実際の生活に落とし込む役割を担う。技術は数学、化学、工学の掛け合わせにより知識を実用化する。そして、数学が世界の暗号を解読する。そして、最近は楽しみながら科学技術を理解するには芸術との融合が必要だとして、「STEAM」教育が注目されているのだ。

「もともとは『STEM』教育があり、そこにアートがプラスされました。アートには発信の役割があるので、STEAMのなかでも特に重要です。どれだけ理系の研究に力を入れても、その成果を魅力的に伝えられなければ世の中を動かせません。CGや音楽を使いながら研究結果を世の中に発信し、コミュニティ全体を動かしていくためにアートが欠かせないのです」

さらに、「アート」は日本語の芸術や美術を指すだけではない。STEMが自然界の法則を明らかにして人類の進化に役立てるものなら、「アート」は、人間が社会で模索しながら自然界にない価値を創り出す行為そのものだ。例えば、法律や経済などの文系分野も、それに含まれる。だからこそSTEAMは、理系や文系の垣根を超えたチームをつくるための教養でもあるという。

伊藤氏は欧米を訪れた際、STEAMで結束した強いチームワークを感じた。日本には、組織や個人がそれぞれのポジションを守る野球型のチームが多いという。しかし、これからは、変化する時代に対応するために、メンバーが自身の判断で刻々と戦略を変えてプレーする、サッカー型のチームが必要だ。そして、そのチーム全体を支える縁の下の力持ちこそリーダーなのである。

「AI時代は、理系も文系も一丸になってチームで動かなければ時代に対応できません。そのためにリーダーだけでなく、メンバー全員がSTEAMを身につけるべきです。文系の人は社会に関する知識と、科学技術やそれに関わる人たちの思考を理解する力が、理系の人は専門知識を伝えて社会実装につなげる力が、そして全体を俯瞰する視野が双方に必要でしょう。STEAMにより文系理系の壁がなくなって橋渡しができるので、強いチームが作れるようになります。文系の強いビジネススキルと理系の高度な科学技術が掛け合わさることで、新しい伸びしろが生まれます」

日本では最短で、高校卒業は18歳、大学卒業は22歳、大学院修士は24歳、博士は27歳で修了する。80歳まで生きるとしたら、たった20年前後の勉強で生き延びるのは困難だ。社会人になってからも新しい時代の変化を学び、先がどうなるのか予想できなければ生き残れない時代に突入している。

「特に日本は少子高齢化が進んでいますから、考え方を時代に合わせてアップデートし、効率化していかないと社会が衰退する一方です。働き方改革で自分の時間ができたなら、単に休むのではなく生涯学習に時間を充てましょう。フィンランドは経済危機に直面した時、大人の生涯学習にも力を入れて学び直しの機会を作りました。その結果、教育大国になりハイテク産業が生まれ、経済が活性化したのです。

ドイツでも、大人の学び直しの機会が多く用意されています。例えば、知り合いの科学者は、生涯学習の科目に乗馬を選択しました。乗馬を学ぶことが研究成果に直接つながることはありません。でも、馬に乗ると頭をクリーンにするスイッチが入り、明日への活力になると言っています。大人になっても新しいことに挑戦し、学び続ける。これが重要なんです」

伊藤氏は、必ずしも勉強に目標は必要ないと述べる。

「はっきりとした目標はなくても、興味があるなら“とりあえずやってみる”姿勢が大事です。行き当たりばったりで航海するのも楽しいですし、そこで新しいものを吸収すれば自然と新しいアイデアが生まれてきます。知識を循環させることがポイントです。仕事でアウトプットしたなら、学びでインプットする。インプットしたものは、アウトプットする。こうした新陳代謝が、個人や組織、延いては社会全体の成長につながります」

(取材・写真)木村和貴
(文)萩原かおり