2021年までにサイバー犯罪の被害コストが6兆ドル(約630兆円)に達する可能性がある。米カリフォルニアに拠点を置くサイバーセキュリティー・ベンチャーズが明らかにした予測だ。2015年は3兆ドルだったので倍増する見込みとなる。

年々サイバー犯罪の数・規模が大きくなっているなかで、各国政府や民間企業の間でサイバーセキュリティー人材を確保する動きが強まっている。しかし、サイバーセキュリティー分野ではいま深刻な人材不足が起こっており、めぼしい人材を見つけることが非常に難しい状況になっている。

さらに、この人材不足はこの先も続くと見られている。欧州では2022年頃に約180万人不足すると見られているが、この状況は欧州だけでなく世界中どこも同じと考えて差し支えないだろう。

いまでも深刻といわれている人材不足がこの先さらに悪化するという観測は、各国政府、民間企業の取り組みに大きな影響を与えている。特にフットワークの軽い国は、多額の資金を投じてサイバーセキュリティー人材の育成に本気で取り組むための環境整備を開始している。

「スマート国家」としての揺るぎない地位を築きたいと考えるシンガポールは、サイバーセキュリティー人材の育成において他国を数歩リードするような取り組みを始めており、各国政府だけでなく、投資家や起業家、民間企業などさまざまなプレーヤーの注目を集めている。

今回は、人材育成を含めシンガポールで加速するサイバーセキュリティー関連の取り組みを紹介していきたい。

サイバーセキュリティーに特化したスタートアップハブが登場

2018年4月、シンガポールにサイバーセキュリティーに特化したスタートアップハブが登場する。

「Innovation Cybersecurity Ecosystem @ block71(ICE71)」と名付けられたこのスタートアップハブでは、資金的な支援から、ノウハウ提供、海外市場進出支援など、サイバーセキュリティー分野の起業家やスタートアップを育成するためのさまざまな取り組み・支援が実施される。今後2年で起業家100人、スタートアップ40社を育成・輩出する計画だ。


ICE71の拠点となるスタートアップコミュニティー「block71」(block71ウェブサイトより)

ICE71は、シンガポール国内通信最大手シングテルのベンチャーキャピタル部門シングテル・イノブ8とシンガポール国立大学、そして情報通信メディア開発庁(IMDA)とサイバーセキュリティー庁の産官学の支援を受けて運営されることになる。

ICE71の設立にともないサイバーセキュリティー庁は、スタートアップ向けの新しい資金援助スキームも開始する予定だ。

シンガポール政府はICE71や新しい資金援助スキームを通じて、国内のサイバー防衛能力を高めることはもちろん、急速に拡大するサイバーセキュリティー市場のビジネス機会を取り込むことを考えているようだ。

IMDAのヤコブ・イブラヒム大臣が地元紙ビジネスタイムズに「サイバーセキュリティーは(シンガポールにとって)成長エンジンだ」と述べていることからも、政府のサイバーセキュリティーに対する認識・姿勢が見て取れる。

IDCによると、サイバーセキュリティーのグローバル市場は2020年までに1050億ドル(約10兆円)規模に拡大する見込みだ。イブラヒム大臣によると、シンガポール国内の市場規模は9億ドル(約950億円)ほどになる。

IMDAはすでに1億2000万ドルを投じて国内デジタル人材育成プログラム「TechSkills Accelerator(Tesa)」を開始している。今後3年でさらに1億4500万ドルを追加投資し、サイバーセキュリティー、データアナリティクス、人工知能分野の人材育成を加速させる計画という。

また2018年3月、政府は学生の情報通信分野への関心を高める目的で新しい奨学金制度「スマート国家スカラーシップ」を新設することを発表。奨学金を受給した学生は、政府技術庁、サイバーセキュリティー庁、IMDAのいずれかで勤務することが義務付けられる。政府がサイバーセキュリティーや人工知能分野の人材を確保したいという思惑もあるようだ。

アワード創設・中小企業向け支援・デジタル地区など、加速する取り組み

ICE71の開設は最新の取り組みだが、シンガポールではこの数年に渡りサイバーセキュリティー関連の取り組みが数多く実施されている。

前出のサイバーセキュリティー庁は2017年9月に、行政、エネルギー、医療、銀行など国内主要11の産業分野向けのサイバーセキュリティー専門家養成アカデミーを設立することを明らかにしている。アカデミーは米国のサイバーセキュリティー企業FireEyeと提携し、インシデント対応やマルウェア分析の専門家を育成する。

また、同時に「サイバーセキュリティー・アワード」を創設し、この分野で多大な貢献をしている専門家や企業を表彰することも発表。社会への認知普及を促進し、人材育成に生かすのが狙いのようだ。

政府はまた、中小企業向けにサイバーセキュリティーやデータ分析の専門家支援を提供する「SMEデジタル・テック・ハブ」を開設。シンガポールの中小企業においては生産性の改善が目下の課題といわれており、その解決策の1つとしてデジタル化が推し進められている。そのなかで同時にセキュリティーの強化も行っていく体制を整えていく構えだ。


「SMEデジタル・テック・ハブ」(ウェブサイト)

さらに2018年3月、シンガポール北東部に「プンゴル・デジタル地区」を開発するというマスタープランを発表。広さ50ヘクタール(東京ドーム11個分)のこの地区は、サイバーセキュリティーを含むデジタル産業の集積地として開発され、企業だけでなく大学や政府機関が拠点を構えることになる。サイバーセキュリティー庁もこの地区に移転する可能性もあるという。

ICE71がサイバーセキュリティーに特化したハブとなる一方、プンゴル・デジタル地区はより広い視点でデジタルイノベーションを生み出す役割を担うことになる。


「プンゴル・デジタル地区」のイメージ図(JTCウェブサイトより)

これまで時代の変化に応じた迅速な舵取りで国の発展を実現してきたシンガポール。そのシンガポールがサイバーセキュリティー分野の取り組みを加速させるべく大きく舵を切っている。シンガポールがスマート国家としてどのように進化していくのか、これからの展開が楽しみである。

文:細谷元(Livit)