人生において「自分で決めた」と言い切れる経験はどれだけあるだろうか。

かつて社会に存在した大きな物語はとっくの昔に崩れ、ロールモデルも多様化している。どこで何を勉強するのか、何の仕事に就き、どう働くのか。その選択肢は広い。広いからこそ選べない。

「自分は何をしたいのだろう」と悩み続けた結果、選択する自由をそっと手放したくなることもあるかもしれない。

だからこそ、周囲に惑わされることなく自分で決めた人生を全速力で駆ける人は眩しく映る。LINE株式会社で執行役員を務める稲垣あゆみ氏も間違いなくそのひとりだろう。

学生時代には国内外9社のネットベンチャーでインターンを経験し、2010年に『ネイバージャパン(現・LINE)』に入社。LINEのサービス企画を担当し、国内の月間アクティブユーザー数7000万人以上となる国民的サービスに育て上げ、2016年には執行役員に着任した。

「中学校を決めたときくらいから、自分の人生だから、自分で決めなきゃなという意識がありました」

“LINE最年少執行役員”という輝かしい経歴も、稲垣氏が幼少期から「自分で決める」を繰り返してきた結果なのだろうか。その研ぎ澄まされた意思決定の過程から、自分らしく人生を切り開くための手がかりを探った。

稲垣 あゆみ
LINE株式会社 執行役員・LINE企画室室長
大学卒業後、ベンチャー企業の立上げに関わったのち、バイドゥ株式会社(日本法人)勤務を経て、2010年ネイバージャパン株式会社(現LINE株式会社)に入社。LINE立ち上げ当初よりサービス企画を担当し、2015年4月、LINE企画室室長に就任。2016年1月、最年少で執行役員に就任。現職。

母の言葉から学んだ「自分は自分」という姿勢

『年齢が上だと何を考えているかわからないだろうけど、頭の中はそんなに変わらないのよ』

幼い頃から母親によく聞かされた言葉だという。稲垣氏は『年齢ではなく、何をしてきたか、何を考えてきたか、何ができるかが大切なのだ』と解釈した。だからこそ、自分で調べて自分で人生を決めなければいけない。そんな意識を幼い頃から持ちつづけてきたという。

稲垣氏にとって「自分で調べる」ために最も手っ取り早い手段は「本」だった。週末は母親と図書館に通い、心惹かれる本を読み漁った。小学生の頃の夢は「家庭裁判所の調査官」。家庭裁判所を扱った漫画とドラマをきっかけに「家庭が人にどのような影響を与えるのか」に興味を持ったという。

人の気持ちと家庭の関係についての純粋な興味と同時に、稲垣氏の胸には「早く自立したい」という強い想いが芽生えていく。

稲垣「小さいころからどのように働いてお金を得るか、リアルにイメージしたい気持ちが強かったんです。どうすれば自立できるかを常に意識していました」

小学生なりに考え続けた末、稲垣氏は自ら中学受験を希望する。受験をして私立の中学校へ通うことで、自分の将来を変えられると親に訴えたという。念願の私立中学への進学後も、本を読み続ける手が止まることはなかった。

稲垣「中学では、京都大学名誉教授で心理学者の河合隼雄氏の本やFBI心理学捜査官の本、多重人格にまつわる本を手に取りました。心理学への関心が強くなっていって、この頃から臨床心理士を目指すようになったんです」

家庭や教育、社会の課題を心理学的なアプローチで解決する臨床心理士は、稲垣氏にとって思春期を通して憧れの職業であり続けた。

自分がなりたい職業を具体的にできる子どもは多くない。稲垣氏の自分で調べ、自分で将来を思い描く様子をみて、周囲からは「大人びている」と言われることも多かったという。

だが「私は私のスピードで生きている」という彼女の姿勢は揺らがなかった。

“組織”への興味と受験、ETIC.との出会い

「年齢関係なく自分は自分」という価値観は、年齢を基準とした社会とは相容れないこともあった。高校時代にアルバイトをした飲食店では、「アルバイト」以上の働きが期待されない環境にもどかしさを感じた。

稲垣「お店の中で基本的には社員の人が担当する役割があったのですが、たまに他のアルバイトの人が私にお願いしてくるんですよ。私がやれば社員がやるよりお客さんにより素早く対応できる。そう判断してお願いしてくれてるんですが、社員の人は気に入らないわけです。高校生が店を仕切っているような状態で、社員からすると鬱陶しかったんでしょう。『年下なんだから』という視線が痛かったのをよく覚えています」

実力や成果ではなく、年齢を優先して判断されてしまう社会への強い違和感は、以降の稲垣氏が属する組織を選ぶうえで大きな影響を与えている。けして、楽しい思い出ではないだろうが、このときのアルバイトの経験は稲垣氏にポジティブな影響をもたらした。

アルバイトの仲間とチームで働く経験は、稲垣氏が経営学や組織論について関心を寄せるきっかけになった。心理学の本を読んでいたのに加え、経営学についての本を読み進め、そこで得た知識をクラブの委員長や文化祭の運営を通して実践していった。

経営学の本を通じて、稲垣氏は「学生でもベンチャー企業で社員と同等に働ける」という同団体のインターンプログラムを知った。社会の諸問題を解決する起業家型リーダーを育成する『NPO法人 ETIC.』だ。アルバイト先では年齢や立場のせいで活躍範囲が限られていた稲垣氏にとって、社員と同等の役割が与えられる環境は魅力的に映った。

同団体のプログラムでは複数のベンチャー企業へのインターンを行う。当時のベンチャーブームへの興味も相まって、稲垣氏はすぐにETIC.のオフィスの門を叩き、インターンを希望する旨を伝えたという。

稲垣「その時は『大学生になってからでも遅くない』と断られましたが、必ずETIC.を通じて企業へインターンしにいこうと決意を固めました」

ETIC.はビジネスを通じて社会課題に取り組む“社会起業家”の育成プログラムを数多く提供している。当時は組織論や経営学に夢中になっていた稲垣氏。ビジネスで社会に貢献しようとする「起業家」の姿に強く惹かれた。

稲垣「高校生の頃も臨床心理士への憧れはありました。けれど臨床心理士のように公務員としてではなく、『社会起業家』としてビジネスで社会貢献する自分の方が明瞭に思い描くことができたんです」

自分で考え、仕事に関する関心も高まっていた稲垣氏は、どのように進学先を選んだのだろうか。大学受験で志望校を選ぶ際も、夢中になって読んでいた経営学の本が稲垣氏にとっての手がかりになった。

稲垣「経営学の本を読む際には『面白いことを言っているな』と感じた教授の名前と大学名を記録していました。すると、野中郁次郎先生をはじめとする一橋大学の教授が多いことに気がつき、同大学を受験したいと思うようになったんです」

受験では、インターネットも積極的に活用した。国公立の合格発表前、第2志望だった慶應義塾大学商学部と経済学部に合格した際には、自分がやりたいことを添えて、『どっちの学部に行けば勉強できますか?』と大学の窓口にメールを送ったという。

稲垣「教授からは丁寧な説明とともに『どちらでも勉強できるよ』と返事がありました。自ら行動して得た教授のアドバイスに対し、学校で得られる先生からの助言は偏差値に基づくものばかり。自分で決めるためには、情報は能動的に掴みにいかなければと改めて実感しましたね」

無事に一橋大学への合格を勝ち取ったのち、大学1年生から積極的にインターンを経験した。楽天をはじめ、9社もの企業で働き、年齢に囚われずに活躍できる場を経て、高校時代から培った「組織を回す」能力を存分に発揮した。

直感的な『自分がやらなきゃ』が行動するタイミング

大学時代の稲垣氏は海外にも高い関心を寄せていた。企業でのインターンと並行して、韓国語や中国語の学習、アメリカのNPOに関する研究にも励んだ。

稲垣「中国や韓国については、高校時代から『隣国なのになぜ仲が悪いのか?』と疑問を持っていたので、社会や文化について深く知りたい思いがありました。アメリカは社会課題の解決に取り組むNPOやNGO、ソーシャルベンチャーが成熟していたため、常に研究対象として追いかけていたんです」

大学1年生から韓国語と中国語を学び、ゼミではアメリカのNPOやNGOについて研究を行う。彼女の持ち前の行動力ならすぐにでも海外に飛びそうだが、その選択に至るまでには少し時間が必要だった。「ソーシャルセクターで起業したい」という想いと向き合い、何をすべきかを整理する必要があったのだ。

稲垣「高校生の頃から『ソーシャルセクターで起業したい』と考えていたけれど、大学入学後は先に社会事業を立ち上げた友人の背中を見送るばかりでした。正直焦りましたね。けれど、社会起業家の方の講演を聞いていたら、『自分がやらなきゃ』と直感できたタイミングで行動を起こしている人がほとんどだと気づいたんです」

幼少期から「自分で調べ、自分で決める」を実践してきた稲垣氏は、別の見方をするなら慎重に決断してきたとも言える。大学では、時には「やってみたい」という直感に従うことの大切さを知った瞬間だった。

稲垣「直感的に気になる言葉やものを突き詰めることが、自分の人生を選ぶうえで大切なんだと考えるようになりました。追い求める先で『これは私がやるべきだ』と感じられたら、その道を進めばいい。市場や社会課題、具体的なデータを分析しても、自分が何をやるべきかという確たる答えが導き出せるわけではありませんから」

まだ「自分がやらなきゃ」には出会えていない——そう考えた稲垣氏は、まず「直感的に気になる言葉やもの」を考えていった。残ったキーワードは「アジア」、「心理学」など。稲垣氏は大学3年生を休学して海外に飛び、韓国と中国で半年ずつ過ごすことになる。

韓国と中国では語学を学びながら現地のITベンチャーでインターンとして働いた。帰国後、中国のIT企業『Baidu(バイドゥ)』の日本法人を経て、2010年5月にネイバージャパン(現・LINE)にジョインした。メッセンジャーアプリがリリースされる、少し前の時期だ。

マネジメントに向き合う先で幼少期の夢と出会う

稲垣氏が在籍しているLINEは、メッセンジャーアプリの枠を超えて、決済や音声AIなど、事業を拡大しつづけている。

入社時の稲垣氏は8年間も在籍するとは想定していなかったという。「私が居なくても回る体制を整えようと考えていたら8年経っていた」と振り返る。

稲垣「メッセンジャーの開発と引き継ぎを無事やりきったら、すぐに新しいチャレンジが待っていました。『LINEバイト』や『LINEデリマ』といった新たなプロダクト開発から、人事業務、会社の戦略まで仕事は無限にある。『私がやらなくてもいいか』と満足を得られるまでは辞められないなと感じています」

今では最年少執行役員として100人ものチームメンバーを束ねる稲垣氏。「全員に働いてよかったと思われる組織づくり」に向けて、日々試行錯誤を重ねている。目標を達成するために自ら情報を掴みにいく行動力は健在だ。見識を深めるため大学時代にお世話になった組織論の教授に再び教えを請うこともあるという。

稲垣「大学生のときにケーススタディで取り組んだ人事施策を自分が本当に実行しているんだな、と思いますね。まさに原点に立ち返っているなという感じ。社内コミュニケーションやカルチャーの作り方、会議の仕方など、些細にみえる物事も、『みんなが幸せに働けるか』という深い組織論に接続していますから」

マネジメントのために学ぶ必要があるのは組織論だけではない。最近ではマネジメントにおいても心理学の手法やメンタルのケアが重要視され、稲垣氏もコーチングのセミナーなどを通して個人のモチベーションや心理を学んでいる。

稲垣「会社では面談を通して、一人一人と向き合う日々の連続です。マネジメントを担う執行役員という肩書きで働くなかで、幼い頃に夢みた臨床心理士に近い役割が求められるようになっています」

一度、やりたいと考えたことは、人生のどこかで形を変えて実現することもある。稲垣氏は、株式会社LINEの執行役員という立場にありながら、かつて夢見た臨床心理士のような役割を担うようになってきている。

中学受験を志した小学生時代から、ETIC.の門を叩いた高校時代、マネジメントに取り組む現在まで、稲垣氏は情報収集や経験を材料に仮説を立て、行動によって検証を重ねてきた。選択という別々の「点」ではなく、それらを繋ぐ思考や行動が「線」となって、人生を形づくっている。

広すぎる選択肢に圧倒されるとき、今ここで最適解を掴まなければという焦りが募ることもある。けれど自分で調べ、自分で考え、行動しつづける限り、過去の選択が持つ意味は変わっていく。一度出した答えにすがり続ける必要もない。

時には直感に従い「やりたいこと」に飛び込んでもいい。それも含めて絶えず自らの声に耳を傾けて仮説検証を繰り返すこと。「大きな物語」がなくなっても、その小さな選択の積み重ねこそが、「自分で選んだ」と胸を張るために歩むべき道を照らしてくれるはずだ。