「なぜ大学に行くのか」この問いに明確に答えられる高校生は、どれだけいるのだろうか。

ベネッセ教育総合研究所が実施した調査では、8割を超える高校生が進学の理由について、「将来の仕事に役立つ勉強がしたいから」と答えている。

しかし、変化の激しい時代に「将来の仕事に役立つ勉強」を定義するのは容易ではない。アメリカでは「2011年度に小学校に入学した子供たちの65%は大学卒業時に今は存在していない職業に就くだろう」と予測されている。

高校生にとって進路選択がますます難しくなっている中、既存の価値観に縛られず新たな道を颯爽と歩む若者がいる。2014年に設立されたミネルヴァ大学に通う、日原翔氏だ。

ミネルヴァ大学は4年間で7都市を移動しながら学ぶ全寮制大学。教室は一切持たず講義はすべてオンラインで行われる。学生は事前に書籍等を読み込み、授業はディスカッション中心の「反転授業」や、あるいは各都市で企業や組織と協働したプロジェクトを通じて、課題解決の手法を身につけていく。

今やハーバード以上の難関大学と言われる同大学に、初の日本人学生として飛び込んだ日原氏。その選択の理由や日々の学びの姿から、最先端の教育に身を置く19歳の姿に迫りたい。

日原翔
1998年埼玉県生まれ。幼少期の一部をニューヨークで過ごす。帰国して以降は自身の持つ日米の異なる価値観から物事を考えるようになる。聖光学院中学高等学校に入学するが自身の進路に疑問を持ち中退し、カナダのPearson College UWCに2年間留学。2017年9月よりミネルヴァ大学に進学。

選択の決め手となったのは大学の「意思」と「一貫性」

「昔からいつも『なんで?なんで?』が口癖の面倒な子どもでした」

笑いながら話す日原氏は、現在ミネルヴァ大学の1年生だ。名門大に多数の合格者を輩出する中高一貫の進学校に通うも、「大学受験に向けて一直線な教育」に疑問を抱き、高校2年生のときに中退を決意。経団連の奨学金制度でカナダに留学し、現地で高校を卒業した。

卒業後に志望大学を選ぶときも理由を問う癖は変わらない。国内外問わず大学の資料やウェブサイトに目を通し、どのような教育を実践しているのか、なぜその教育を大学で行う必要があるのか、大学側の意図を見極めようとしていた。

そのなかで「妙に抽象的でスタイリッシュ」なミネルヴァ大学のウェブサイトが、日原氏の目に留まったという。

日原「洗練されたデザインと独特のカリキュラムに惹かれたのですが、あまりにも載っている情報が少なくて…。万が一怪しい大学だったら困ると思い、カリキュラムや授業内容について担当者に何度も質問を送りました。

すると、どれだけ掘り下げた質問をしても毎回説得力ある理由が戻ってくる。やりとりを繰り返し『ここは一貫したintentionality(意図)を持って教育を設計している』と確信できたんです」

意図を持った教育のあり方、そして疑問に対して真摯に向き合うミネルヴァ大学の姿勢が日原氏を惹きつけた。

なかでも「変化の時代には普遍的な力が必要になる」というメッセージが、当時の彼が抱いていた想いと重なり、入学の決め手となった。

日原「ミネルヴァ大学は加速度的に変わる世界で、課題解決のために必要な力を養うことを重視しています。一時的に知識を詰め込むのではなく、より普遍的な思考力や知恵、好奇心を育むこと。さらにその力を実社会に応用する手法を学ぶこと。この二つが達成できるようにカリキュラムが設計されていました。」

100以上の課題解決の方法を一年かけて身につける

「なぜ?」という問いが尽きるまで検討を重ね、「ミネルヴァ」という学び場を選んだ。そんな日原氏に日々の授業について聞いてみると、真っ先に「HC(Habits of Mind and Foundational Concepts = 思考習慣と基礎概念)」について説明してくれた。

HCとはミネルヴァ大学独自の課題解決に必要な思考法を指す。HCは100以上の項目から成り、初年度の必修授業では、丸一年をかけて一回の授業につき一項目を習得していく。

同大学のウェブサイトではHCが「あらゆる分野の学びにおいて基盤となる」と説明されている。ミネルヴァ大学の一年生は、日原氏が共感した「普遍的な思考力」を培うためにほとんどの時間を費やす。

日原「例えば、最初の授業で学んだ『Right Problems』では、問題を正しく定義する方法を学びます。サンフランシスコのホームレス問題を題材に、政治や経済、メンタルヘルスなど、課題を生む複数の要素を紐解き、解決の切り口を探りました」

一度扱った項目はその後の授業でも応用していく必要がある。100以上を網羅するのは大変そうだが、日原さんは「各項目が接続しているので自然に体得できている」と話す。

HCを叩き込む初年度をミネルヴァ生はサンフランシスコで過ごす。二年生からは半年ごとに異なる都市に移動し、場所ごとに設定されたテーマに沿って学ぶためのカリキュラムが用意されている。まるで世界を旅するように学び、様々な経験を積み重ねていく。そのための土壌をつくるのが、HCであり、サンフランシスコという学びの場だ。

日原「今いるサンフランシスコは、異なる文化が共存する場所なので、多様な課題が共存しています。思考の基礎を学び、実践を重ねる場としてはこの上ない環境です。
二年目は前期で韓国のソウルを、後期ではインドのハイデラバードに滞在します。きっとカリキュラムの成果を最大化するような意図を持って、これらの都市を選択してあるのだろうと期待しています。一年生が終わってからどこで何を学ぶのか、私たち生徒にもまだ明らかにされていません。きっとカリキュラムの成果を最大化する都市を選んでくれるだろうと期待しています。」

各都市では実際に政府やNPOと連携して課題解決に取り組む「Civitas」というプログラムもある。生徒は自身の興味関心によってパートナーを選び、プロジェクトを推進していく。日原氏は今ちょうどその計画を練っている途中であり、「物理学が好きなので関連するプログラムに参加したい」と展望を語ってくれた。

(ゴールデン・ゲート・ブリッジを作るワークを行った様子)

ディスカッションやフィールドワーク、プロジェクト授業が中心のカリキュラムでは、先生の話を聞くだけの受動的な時間は皆無と言っていいだろう。日原氏曰く「先生が90分のうち10分以上話し続けてはいけない」というルールも存在するそうだ。

その分、生徒には授業で発言するための準備が求められる。日原氏は「90分の授業に平均2時間程度」を準備に費やす。課題として与えられるリーディングや動画が面白いので予習も苦でないと語る日原氏は、予習時間に新たな知識と遭遇する瞬間を楽しんでいる。

日原「課題図書で知った事件のWikipediaの関連記事に飛んで、気づけば直接関係しないトピックについて夢中で読んでしまうこともあります。反転授業は自分で自由にインプットの幅を広げられる点も優れていると感じます。」

ミネルヴァ大学では授業外でも、政治や科学、経済など、アカデミックな内容を扱う課外活動が盛んだ。ワークショップや講演、フィールドワークなどその形式も多岐にわたる。

日原氏は「ミネルヴァでやっていること全てが好奇心を刺激される」と、自身の学びの環境を高く評価していた。

多様な生徒に共通する「常識を鵜呑みにしない」姿勢

ミネルヴァ大学は教室を持たない大学だが、生徒は各都市の寮で共同生活を送っている。各国から集まる多様な生徒との共同生活では、日本では出会えない考え方から学びを得る機会も多いという。日原さんは友人のインド人学生とのエピソードを教えてくれた。

日原「以前、寮でコンロの火が点かなくなったとき、みんなで修理が来るまで使えないねと話していました。そしたら彼はキッチンペーパーにつけた火をさっとコンロに移して『これで使えるね』と何でもないように言ったんです。
インドには限られた資源で課題解決をする『ジュガード』という考え方があるそうで。彼のとっさの行動にも表れていますよね。日常のなかで自分にはない課題解決の思想に出会えるのは刺激的ですね」

ミネルヴァ大学に集う学生は国や文化だけでなく専門性も多種多様だ。高校生の頃から環境活動や政治活動に力を入れていた人もいれば、数学オリンピックで優勝するような人もいる。

そんな彼らに共通する性格は「怖いもの知らずで、常識を鵜呑みにしない」点ではないかと日原氏は考えている。

日原「設立してまだ3年で、大学としてのブランドはまだない。そんな環境に自ら飛び込んでいる人たちなので、常識にとらわれない人が多い。徹底的に自分たちの疑問を追求する姿勢を持っている点も似ています。」

(UWC出身のミネルヴァ生でピクニックをした時の様子)

義務教育9年間と高校、大学の学びをどう接続するか

日原氏に卒業後の進路についてたずねてみると、大学院への進学を視野に入れていると教えてくれた。

日原「ミネルヴァ大学は教育機関として優れていますが、研究機関としては他のトップ大学には及びません。まだやりたいことは絞りきれていないのですが、別の大学院に進学し、物理学の研究の手法を学びたいと考えています」

大学は教育機関なのか、それとも研究機関なのかという点は、日本でも度々議論に上るトピックだ。学部時代を前者に特化した大学で学び、のちに研究機関に移るといった棲み分けを行うのも一つの選択肢なのかもしれない。

また、大学に入るまでの教育のあり方について、日原氏は「どこでいつ何を学ぶのかは個人が決められるのが理想」であると、自身の体験を踏まえて語る。

日原「日本の中高では授業時間の半分で内容を理解できる人は、残りの時間を無駄にしてしまう。僕自身もその時間がすごくもどかしかった。理解するのに時間が必要な人も、周囲に追いつけず辛い思いをしているかもしれません。
物事を学ぶ速度は人によって大きく違うので、個人が必要な学びを必要なタイミングで選べる自由があってほしい。現状のシステムでは小学校、中学校、高校のカリキュラムが別々なので難しいかもしれませんが、個人が自由に学びを設計できるといいと感じます」

個人に合わせたカリキュラムが重要であるという主張は、決まった内容を決まった順序で教える義務教育への疑問のようにも聞こえる。しかし、「ほとんどの国民が文字を読める教育の豊かさ」の意義も日原氏は指摘した。

日原「誰もが平均的な学力を身につけられる現在のシステムの良さも確実にあります。実際ここまで識字率の高い国は決して多くありません。『画一的だから駄目、個人が好きなだけやるべき』という単純な二元論に陥ってしまうのではなく、従来の教育の良さを踏まえた上でよりよい姿を探っていけるといいのかなと感じます」

(日本を訪れた韓国人の先輩と一緒に観光した際の写真)

「単純な因果関係で物事を判断しないのもHCの一つなんです」と笑う日原氏の表情には、日々新たな思考の術を身につけている充実感と喜びが滲んでいた。

好奇心を持ち、疑問を抱くことは学びの出発点にしか過ぎない。そこからどのように課題解決に向けた道筋を立てて行くのかを習得するミネルヴァの学びは、「なんで?」を問い続ける子どもだった青年に理想的な学びの場を提供していた。