いま、「旅」の意味はどこにあるのか。

数十年前に比べて、旅のハードルは圧倒的に低くなった。 かつて存在した言語の壁、現地の情報収集、移動コストなどはすべて低下した。

旅をしながら暮らし、働くことも選択肢の1つになった。

旅は当たり前になった。だからこそ、「旅の価値」を考え直す必要があるのではないだろうか。

旅、特に海外から日本へ来る訪日外国人観光客に向け、情報発信をするWebマガジンがある。「MATCHA(まっちゃ)」だ。同媒体を運営する株式会社MATCHA代表取締役社長の青木優氏は、自身も学生時代に世界一周の旅を経験し、その経験からMATCHAへの着想に至ったという。

青木氏は大学を卒業した年にMATCHAを立ち上げてから4年。いま考える旅の価値とはどのようなものか。そしてインバウンド需要が大きく変化するであろう2020年以降をどう見据えるかを伺った。

青木優
株式会社MATCHA代表取締役社長
1989年、東京生まれ。明治大学国際日本学部卒。株式会社 MATCHA 代表取締役社長。学生時代に世界一周の旅をし、2012年ドーハ国際ブックフェアーのプロデュース業務に従事する。デジタルエージェンシーagument5 inc.に勤めた後、独立。2014年2月より訪日外国人向け WEB メディア「MATCHA」の運営を開始。「MATCHA」は現在9言語、世界200ヶ国以上からアクセスがあり、様々な企業や県、自治体と連携し海外への情報発信を行なっている。

仕事を生み出していた、父の姿

青木氏の記憶の中には、事業を営む父の姿がある。彼が、はじめて商売や海外とのつながりを意識したのは中学生の頃だった。

青木「中学生の頃、父がお菓子の輸入販売をする副業をはじめたんです。ルクセンブルグから現地で有名なお菓子を輸入し、本業で関わりのあったブライダル業界へ卸していました」

当たり前のように仕事を生み出す父の姿を目に、『会社を作ったり独立したりするハードルは高くないのかも』、そう青木氏は考えるようになったという。

「いずれは自分も」−−そんなことを頭の片隅で考えながら、青木氏は進学する。進路を考えた彼は日本の文化を外へ発信していく新しいテーマを持った明治大学の国際日本学部を選ぶ。自らの直感を信じての決断だった。

青木「選んだ理由はシンプルでした。単純に『新しくて、面白そうだ』という印象を持ちました。1期生だからこそ、濃密な時間を過ごせそう。自然とこの学部に行くだろうと思っていました」

経営に対する想い、成功体験

新設された学部の1期生には、ユニークな人材が集まりやすい。青木氏が入学した、明治大学の学部の国際日本学部もそんな学部の一つだ。

国際日本学部は留学が単位認定になることもあり、多くの学生が留学を経験するという。てっきり、その学部の1期生だった青木氏も、きっと留学経験者なのだろうと、思っていた。留学経験について尋ねてみると、青木氏からは意外な言葉が返ってくる。

青木「僕は留学に行くとだらけてダメになりそうだと思って。留学に行かなかったんです」

留学に行かないというのも立派な選択だ。だが、次々と留学に旅立っていく友人たちを見て、次第に青木氏の中には焦る気持ちが生まれていった。

青木「環境を変えなかった分、友人たちが戻ってくるまでの間、僕も彼らと同じかそれ以上の経験をしなければと焦りました。そのとき出会ったのが『社長になりたい人募集』と書かれたインターン募集でした」

必要としている人のところに、必要な機会は訪れる。青木氏のところにやってきた機会は、ECサイトの運営担当インターンだった。偶然にも青木氏は大学1-2年の頃、mixiのコミュニティで古着を売り生計を立てる経験をしていた。近所の古着屋で安く仕入れ、mixiで高く売り、月10万円近く稼いだこともあったという。その経験をインターン先の面接で話したところ、ECサイトを1店舗任されることになる。

青木「『サイトの売り上げを月100万にする』僕がインターンとして課せられたミッションです。できることはなんでもやりました。サイトのテキストを変えたり、UIを改善してみたり、メルマガを送ったり……。知識も経験も無い中、すべて手探りでトライアンドエラーを繰り返していきました」

考え得る施策は片っ端から試した。すると、次第に数十万円から目標としていた売上まで成長していった。

青木「自分の行動が大きな成果に繋がる。大学2年生、20歳の僕にとってはとても衝撃的な体験でした」

青木氏がもがきながら手にした成功体験。この経験が彼の「経営」に対する意識を着実に育んでいった。

青木「自分の行動が成果につながることの喜びと同時に、お金を稼ぐこと、つまり経営を強く意識した瞬間でもありました。当時の僕にとって身近な経営者はインターン先の社長です。彼は28歳で20人規模の会社を経営していました。その姿を見るなかで『自分も将来独立する』と明確に思い始めました」

経験したからこそ理解できることがある。旅の価値

インターンを経て、経営への意識を持ちはじめた青木氏が大学3年で出会ったのが「旅」だった。

青木「きっかけはTwitterでした。学生で世界一周を経験したTABIPPOの清水さんのツイートを見て『学生でも世界一周って行けるんだ』と驚いたんです。彼の影響を受け、手始めにバックパックで2週間、タイとカンボジアとマレーシアに行きました」

当時、青木氏は大学3年。インターンでのビジネスの経験を経て、専攻領域である海外について改めて考えていたタイミングだった。自ら経験したからこそ、理解できることもたくさん存在する。バックパックを経験した青木氏は、この2週間の経験で一気に「旅」へ惹かれていく。

青木「成長欲求と、旅をして得られる『変化』が僕の中で上手くマッチしたのだと思います。見たことがない景色や触れたことがない人と出会うことで刺激され、価値観が変わっていく。この変化に夢中になりました。2週間のバックパックから帰ってきてすぐ、世界一周へ行くことを決めました」

世界一周に向けて準備を進め、いよいよ旅立つ直前に、青木氏は今後の自分を大きく左右する言葉を聞いた。

「日本のものが世界ではすごく評価を受けているけれど、日本人はそこに対してうまくビジネスをできていない」

この言葉はクリエータービジネス論という講義にゲスト講師として登壇した編集者の櫻井孝昌氏が発した言葉だった。

青木「櫻井さんの言葉はとても印象的でした。これまで大学では世界で評価を受けている話は聞いていましたが、そこをビジネスにできていないとは思っていなかった。実際はどうなのか。そう思いながら僕は世界一周へ向かいました」

青木氏は 7ヶ月で18カ国を巡り、各地で日本がどのように評価を得てビジネスとして成立しているかを意識して見て回った。それぞれの国で青木氏が目にしたのは、日本文化が評価を得ている姿。

そしてそこには日本人も、日本企業もおらず、ビジネスとして成立させられていない現実だった。

青木「この課題を解決できるよう、自分はやりたいことを積み重ねていった方がいいのではないか。ここから『日本のもの外に送り出すビジネスをしていくこと』を自分の軸に据えました」

「日本のもの外に送り出す」という軸

青木氏は世界一周を始める際、MATCHAの構想へと繋がるブログを始めていた。

青木「せっかく世界一周するなら、その体験を発信しよう。そう考えたときに出会ったのが、Labitを創業した鶴田浩之さんのブログです。旅の写真が本当にきれいで、文章も芯がある。読んでいるだけで鶴田さんの経験を追体験できるような感覚でした。鶴田さんのような発信をしたい。そう思い、自分もブログで発信することを決めました」

青木氏は自分のメディアとなるブログを作り、世界一周をしながら発信を続けた。幸い、世界一周中は毎日違う体験ができ、写真も絵になる。ネタも尽きなかった。青木氏はこの期間にブログを書き続けることで、発信する基礎体力を身につけていった。

発信を続ける青木氏に影響を与えたのが、読者の存在だ。

青木「僕が鶴田さんのブログを見て、ブログを始めたように、ブログを通して発信を続けていく中で、徐々に誰かのアクションにつながることも出てきました。僕の世界一周の記事を見て世界一周へ行ったという人もいましたし、瞑想の記事では100人近くから連絡がきました。僕が自分の切り口で発信したことが誰かのアクションにつながる。発信することで、見てくれた人の人生を変えられる可能性があるのは面白いと思いました」

発信する自分自身にとってもプラスになり、それを見る人にとってもプラスになる。青木氏がブログ、ひいてはメディアの面白さを改めて感じた瞬間だった。青木氏はこの成功体験を元に、徐々にブログの読者を増やしていった。

ブログから改めて感じた、メディアの価値

経営への意識が芽生え、自分が挑むべき軸も見つかった。ブログを通じて、多くの読者も獲得できていた。卒業を控えた青木氏は、就職を考えていなかった。

青木「当時、最低限の生活をまかなえる位の収入は、ブログの広告で得られていました。卒業後、自分は”何か”をするだろう。そう考え、意図的に就職しなくてもよい状況を作ったんです。当然、就活もしていません。ただ卒業近くまで、情熱を注ぐべき対象が見つからず。しばらくは探し続ける時期が続きました」

軸を具体的な事業に落とすため模索していた。そこで青木氏が出会ったのは日本各地の美しい姿を写した映像作品を作るaugment5の作品だった。

青木「augment5の映像を友人に紹介してもらい、釘付けになりました。一晩中パソコンにかじりつき、朝までずっと映像作品を見続けました。朝日が昇ったらすぐ、社長にお会いしたいです。とメールを送りました。卒業とともにアシスタントとして入社。彼らがこれまで切り取ってきた美しい日本の姿を見つけるセンスや、視点を学ばせてもらいました」

青木氏はaugment5を自身のブログでも紹介した。すると驚くほどのアクセスを記録し、多くの人から素晴らしい作品だという評価を得たという。しかし同時に、優れた映像作品を作っても、「拡散する力」が無ければ視聴されない、という現実にも気づく。

青木「良いものであっても多くの人の目に触れないまま消えていくものは少なくありません。何百万、何千万の制作費をかけたのに再生回数が数百ではもったいない。自身のブログを通して爆発的に広がった経験を考えたとき、僕がやるべきは”発信”なのではないかと考えました」

やりたいこと、できること、状況が重なった

彼の中で、挑戦に向けた全てのピースが揃う。

ちょうど、東京オリンピックの開催が決まった直後だった。

青木「自分がやりたいのは日本のものを海外へ送り出していくこと、できることはメディア運営。さらにオリンピックが決まり、世の中の訪日客への意識や機運はもっと高まっていく。訪日客も年々増えている状況。やりたいこととできること、そして状況までもが重なった。そこから生まれたのが、訪日外国人観光客向けのメディアでした」

augment5を退職した青木氏は、一緒に事業を展開する仲間を集めはじめる。

青木「創業メンバーはほぼTwitterで集まりました。初代編集長の鳥井さんやインドネシア人と日本人のハーフのリキくん、Pixivの織田さんなど。ほぼ全員僕が創業直前の1ヶ月で声をかけお願いした方々でした」

共通の趣味や言語があれば、インターネット上で全く知らない人と繋がることは青木氏にとって自然なこと。そのため、Twitterで仲間を集めることも自然なことだった。メンバーを集め、約1ヶ月後の12月には起業。さらに、仲間を集める際にもインターネットが活躍する。

翌月の1月に起業した旨のブログを執筆すると、1ヶ月で200件ものメッセージが届く。何かしらのかたちで関わりたいというものだった。青木氏はその1つ1つを確認した上で、計100人以上と面談を繰り返した。

青木「朝8時から夜10時くらいまで1時間ずつ面談をするという暮らしを1カ月続けました。毎日喉は枯れましたが、1カ月100人と会うことで企画も徐々にブラッシュアップされ、一緒に働きたいメンバー像も少しずつ見えていきました。その裏ではサイト側や記事の制作が進み、最終的には2月にリリース。現在まで運営を続けてきました」

MATCHAの価値、「体験」の価値

数人でスタートしたMATCHAは、現在20人を超えるチームへ拡大。2017年10月には、5回目のオフィス移転を果たした。日本語を含め2言語でスタートしたメディアも、2017年8月にスペイン語を加え、全10カ国語まで拡大している。

事業面でも2017年7月には星野リゾートと、9月にはスノーピークとの資本業務提携を発表。そのほかエンジェル投資家など強力なパートナーと共に、拡大へ向けアクセルを踏み込んでいる。

MATCHAが提供する「訪日外国人向けの観光情報」は、日本を旅する旅行客に「より良い旅」を提供することへ繋がる。MATCHAが実現しようとするのは、青木氏自身が肌で感じた旅の価値をより感じてもらうことにある。

青木「僕自身旅の経験から大きく意識が変わったように、体験することに価値を見出していく人は今後さらに増えていくでしょう。自分で体感した美味しさや良さという原体験がその人の人生に大きく影響をもたらす。その人が発する言葉も、体感したことのほうが力が生まれます」

旅先の景色も、体験できることも、「情報」はインターネットで簡単に手に入る。だからこそ旅へあえて行き、体験することの価値はより高まっていく。

青木「旅行客にとって良い刺激や、インプットを提供できるようなメディアでありたい。日本にはそのポテンシャルがある。MATCHAのような日本の良さを実体験を持って発信し、体験を作っていく会社は絶対に今後必要になってきます。他の国にもそういった会社が出て来るでしょう。自分たちが世界において、日本を代表できるような会社を目指していきたい」

2020年東京オリンピック。その後。

2020年に向け、加速を続けていく観光市場。2020年以降はどうなるのだろうか?「2020」という数字ばかりが踊り、そこに向けた計画を発表する企業は数多存在するが、その先に言及している人は思いのほか多くない。

青木氏は2020年以降もインバウンドの市場は拡大し続けると見ている。

青木「アジアの中間層が旅行をする機会や頻度はどんどん増えていますし、中国からの旅行者も増加し続けている。日本のインバウンド需要はオリンピック以降も引き続き拡大していくでしょう。これは数字でも示されており、市場・消費環境は引き続き向上していくと考えられます」

だが、市場が拡大すれば全てのビジネスが拡大するわけではない。青木氏は、広告費はオリンピックを境に減少していく可能性を想定している。メディア事業の収益源が減少するタイミングに備え、対策を講じようとしているのだ。

青木「市場は拡大しますが、オリンピック以降広告費は縮小されていきます。MATCHAとしては、広告だけに頼らず、媒体によって生まれた体験とそこで流通した金額からフィーをもらう方向にシフトしていければと考えています」

そのためにも、まずはユーザーに対し価値を提供し続けていく。適切な情報を届け、MATCHAを通してより多くの「良い体験」を提供していくことに注力していく。

青木「MATCHAがあることにより、良い体験をできたという人が増やす。そうすれば、土地も潤いますし、その土地の良さも残していける。それこそがインバウンドの価値です。そのためにも、メディアを成長させ、MATCHAを通じてたくさんの素晴らしい体験を提供していきたいですね」

インターネットが「体験」を濃いものにする

青木氏自身にとって、ブログやTwitterのようなメディア、ひいてはインターネットはさまざまな価値や体験を享受させてくれたものだ。同様にメディアを通して多くの人へ情報を提供する青木氏自身は、インターネットとリアルそれぞれのバランスを常に意識している。

青木「僕は人に会うのが好きなので、会えるなら会いに行きます。ただ、リアルで会うこととインターネットでのコミュニケーションにはそれぞれにメリットがあると考えています。インターネットのほうが広く多く繋がれる上、直接的ではない人に対して定期的に自分の存在や興味を持ってもらえる。一方会うときは短い時間で濃いコミュニケーションをとれる。ですから僕が会うときは基本的に一対一に絞り、濃いコミュニケーションを意識しています」

特に青木氏のように普段から情報発信をしていると、実際に会う時のコミュニケーションの密度は高まる。MATCHAではこの濃い体験を提供するための役割も果たしていきたいと、青木氏は考える。

青木「普段から情報を発信しておけば、表面的な近況報告は不要になります。ですから自分の体験を深く発信していくことに意味を感じている。インターネットの情報は遅延性があり、すぐに結果はでないけど、数年後には誰かにとって価値を提供していることがある。それをMATCHAでも実現できればと日々考えています」

Photographer: Yansu KIM