現代人は、膨大な情報に触れ、多様な選択肢と日々向き合う。あらゆるシーンで選択を迫られ、選択し続けなければならない人生を歩む我々にとって、選択とどう向き合うかはどう生きるかとほぼ同義だ。

全ての選択の正しさは検証できないが、後悔しないように選ぶことはできる。後悔のない選択をするには、自分がどうしたいのかという基準を持つことが求められる。「自分はどうしたいかという、ビジョンが個人においても大事になってくる」という青野氏の言葉のように。

『kintone』をはじめとしたグループウェアを展開するサイボウズ株式会社。同社は働き方改革が注目を集めるはるか前から、独自の変革を行ってきた。同社代表の青野慶久氏は、社長就任直後から社内の働き方改革を進めてきた先駆者でもあり、現在は総務省、厚労省、経産省、内閣府、内閣官房の働き方変革プロジェクトの外部アドバイザーを務めてきた。

労働人口の減少や、長時間労働問題の顕在化、ダイバーシティ推進などの観点から、ここ数年国が推進しつづけている働き方改革。ビジネスにおける成長と接続されない改革案が話題に上がる中、「経営戦略上必要に迫られ、働き方を変えてきた」と語る青野氏から、これからのビジネスに必要な働き方を伺った。

青野慶久
サイボウズ株式会社・代表取締役。1971年生まれ。愛媛県今治市出身。大阪大学工学部卒業。松下電工(現パナソニック)を経て1997年愛媛県松山市でサイボウズを設立。2005年より現職。

基礎となったのは、『100人100通りの働き方』を実現する制度

サイボウズ・青野慶久氏

青野氏が代表取締役に就任した2005年当時、サイボウズは急拡大を続けている時期だった。97年の創業後、2000年にマザーズへ上場。2002年には東証2部へ市場変更し、青野氏が就任した翌年の2006年には東証1部への市場変更が控えていた。急成長の裏では様々な歪みが生まれてくる。サイボウズの場合、その歪みは離職率という形で現れていた。

青野「私が働き方に着手した当時、サイボウズの離職率は28%にものぼりました。毎週送別会のような状況で、4人に1人が1年後にはいない。社内の雰囲気も悪く、次は誰が辞めるのかと疑心暗鬼になりながら働くような状況です。なによりも、この状況を変えなければというのがはじめの思いでした」

高い離職率を解消すべく青野氏が考えたのが、公平性よりも多様性を尊重する仕組みだった。著書『チームのことだけ、考えた。(ダイヤモンド社)』で語られている『100人100通り』の働き方という言葉の通り、青野氏は社員一人ひとりの個性に合わせ柔軟に制度を増やす方向へ舵を切った。

青野「退職する人と話していく中でわかったのが、辞めていく理由は人それぞれということでした。退職する理由を全てなくしていくためには画一的なルールでは対応できない。ですから、働き方も個別に対応する。これが『100人100通り』の働き方が生まれた背景です。10時間働きたい人は10時間働ける仕組みを。週に1回家で働きたい人がいれば、家で働ける仕組みを。一人ひとりの社員の希望に合わせ、新しい働き方を作りつづけてきました」

ニーズが多様だからこそ、それぞれに合わせた仕組みを用意する――言葉で語るだけなら簡単だ。実現していくためには、幾つものハードルが存在するのは明らか。ほとんどの企業がルールを設け、画一的に社員の統制を行うのにはそれなりの合理性が存在する。青野氏も「苦労がなかったとは言えば嘘になる」と言葉を続けた。

青野「無論、それぞれの制度に関して議論が必要ですから、かなりの労力を要しました。といっても、わたしは上から偉そうに『100人100通りだ!みんな自由に要望を言え!』と言うだけ。一番頑張ってくれているのは人事部です。社員の要望を集約し、人事部で多様な要望に対する最適な解決策を1つずつ考えていきました」

青野氏が旗を振り、人事部が解決へと邁進する。青野氏は「偉そうに言うだけ」と笑うが、人事部に集約させることは実利的にも有効な手段だろう。上長、ないしは社長に進言して欲しいと言っても意見を出す社員は限られる。利害関係が比較的少ない人事であれば、気兼ねない意見を多くの人から集約しやすい。意見を集約し解決していく場所としては最適な選択肢なのだ。

「人事部をスターにしたかった」と青野氏は語るように、サイボウズの人事部は今や働き方改革を推進する企業にとって参考例の1つとなっている。人事部のメンバーから話を聞くため、日々さまざまな企業の担当者がサイボウズのオフィスへ訪れているという。

目指すは生産性の向上にあらず。市場価値こそが評価基準に

サイボウズ・青野慶久氏

100人100通りの働き方を掲げ、働き方を改革してきたサイボウズだが、働き方の変化は会社の様々なルールに変化をもたらした。

その代表例が生産性への意識だろう。現在、国が推進する働き方改革では、生産性の向上が1つの目標として掲げられている。一方サイボウズでは、働き方を変えていく上で生産性を考慮していないという。この違いを青野氏に問うと、そもそも生産性のとらえ方に差があると語ってくれた。

青野「生産性は時間に対する利益や売上を指す言葉です。1時間に10個作っていたのが15個になる、といったブルーワーカーに対応した考えに近い。一方、ホワイトワーカーの場合、1年間鳴かず飛ばずだった人が、翌年とてつもなく良い結果を出すこともある。生産性は人の個性や働き方、考え方によって異なるはずなのです。こつこつ積み上げていく人もいれば、積み上げは苦手でもホームランは得意な人もいる。それを同じ基準で評価することはできない。ですから、従来の生産性という考え方はサイボウズでは使えないのです」

では、同社ではどのように評価を行っているのか。人手不足が叫ばれるいま、適切な評価を得られない環境に長居する人は多くない。相対評価に絶対評価、360度評価などこれまでさまざまな手法を試してきたサイボウズが、現在採用しているのが会社内だけの視点にとどまらない、市場評価に基づく評価制度だ。

青野「同じ部署で横の席でも、働き方も業務内容も異なるわけですから、上司や同じ部署のメンバーといった限られた視点だけでは正しい評価が出せません。そこで現在は、社内市場評価と、社外市場評価の掛け合わせで評価をしています。社内市場評価は、社内でいかに信頼を得ているかというもの。社外市場評価は、『転職市場でどのように評価をされるのか』というもの。これらの掛け合わせで、評価を行っています」

たしかに、評価の軸を市場にすることができれば、多様な働き方を同一組織内で受容することもできそうだ。市場評価は離職リスクの回避にも通じる。転職時、給与が上がる例は少なくない。人材の奪い合いという視点もあるが、一定期間勤めることで市場価格と給料にズレが生じている場合もある。市場評価に基づく評価制度はこのズレを最小に抑える役割も担えるだろう。

ただ、ここで1つ疑問がわいてくる。働き方、評価基準まで多様化してくると、マネジメントする管理職の負担は膨大になるのではないだろうか。場所や時間も問わず、評価すべき対象も異なる同社の管理職は、どのようにマネジメントを行うのか。

青野「私たちは、グループウェアというツールの力を活用しメンバーがお互いにマネジメントしあえるような環境を構築しています。そもそも、この多様なメンバーを管理職が一人で背負いマネジメントを行うことは無理です。グループウェアがあれば、働く時間や場所もずれていても、仕事の進捗や成果物を全てグループウェア上で閲覧できるようになります。そこで上司部下だけではない様々なメンバーが閲覧可能な状態を作り、相互にフィードバックやコメントをすることで、自然とマネジメントが効く状態を生み出しています」

こうしたマネジメントのアプローチは、「ホラクラシー」にも通ずるところがある。従来のピラミッド型ではなく、よりフラットな形を目指しているというわけだ。無論ホラクラシー型のマネジメントも様々な課題が指摘されており、一概に目指すべき姿とは言えない。ただ、サイボウズが実践するマネジメントのスタイルからは学べる点が多く存在するだろう。

青野氏は、この制度はサイボウズがグループウェアの会社であり、社員はツールを使いこなせるからこそ成立していると付け加えた。テクノロジー時代ゆえ、ツールの導入可否や活用レベルが、組織の働き方の変化に大きな影響を与えている。

制度・ツール・風土の3つがキーに。他社とサイボウズの違いは風土にあり

サイボウズ・青野慶久氏

100人100通りの働き方を実現するための制度。多様な人々が相互にマネジメントし合えるようにするためのツール。どちらもトップダウンで取り込めば、多くの組織にインストールできる。こうした手法でサイボウズは、会社の働き方を変えてきた。……これだけで変われるのであれば、世の企業はもっと多様な働き方を実践していてもおかしくない。つまり、制度とツールだけでは、組織は変われないのだ。

ここまで話題に上がった制度とツールに加え、青野氏は働き方を変えるための要素として風土を挙げている。

青野「風土の重要性は、働き方を変えていく中で徐々に気づいてきたものでした。制度から入って働き方を変える中で、在宅勤務用にセキュリティレベルの高い設備や、仕事の進捗を共有するツールが必要になりました。そこでツールを整備すれば自然と上手く回るようになったのですが、世の中の他の企業をみてみると、制度もツールも整っているのにできていないところもある。なぜこの差が生まれるのかを考え明らかになったのが、風土という視点でした」

ツールや制度については先行事例が増えてきた。だが、ツールや制度をそのまま組織にインストールしたとしても、働き方が大きく変わることは難しい。青野氏は、サイボウズと他社の状況を比較する中で気づいた風土という視点。サイボウズでは、どのような風土が根付いているのだろうか。

青野「1つは『多様性を重んじる』という原理原則。働き方の多様化を目指すためには、多様性を重んじる風土が欠かせません。もう1つは『公明正大であること』。つまり、嘘を言わないということ。お互いが顔の見えない中で連携しながら働くときには、絶対に嘘だけは言わないという信頼が必要です。これらの風土があるから、サイボウズでは制度もツールもうまく機能している。制度・ツール・風土。この3つが、働き方を変えていく上では大事な要素になってきました」

信頼し合える関係が必要だ。この信頼に必要となるのが「公明正大」であること。「リモートだから働かず遊んでるのでは?」と疑うことは簡単だ。事実リモートワークする姿を監視するソフトウェアすら存在している。自由は責任を伴う。責任を果たす人という信頼のために、公明正大さは欠かせないピースである。

これらの風土は、あくまでサイボウズの場合だ。風土は企業によってさまざまで良いはずだ。青野氏自身、制度・ツール・風土の3つの要素があれば、サイボウズのように働き方を変えられるか?という問いに対して、「できるはず」と回答してくれている。

ただ、この風土は企業による差が大きく出る。新しい時代、新しい働き方にフィットする風土を根付かせることが、企業が働き方を変えるためには欠かせないということなのだろう。

ビジョンが何よりも大切な時代になっていく

サイボウズ・青野慶久氏

サイボウズは、制度・ツール・風土を通して、多様性や個性を重視してきた。可能な限り多様な従業員が働くことができる仕組みを有するサイボウズだが、それでも同社に合わない人は出てくる。サイボウズに合うか否かを分けるのは、ビジョンへの共感だ。

青野「サイボウズは『チームワークあふれる社会を創る』というビジョンを実現する集団です。このビジョンを実現したい人は会社に合う。実現したくない人には合わない。基準はシンプルです」

ビジョンへの共感が会社との相性を決める。これはサイボウズに限った話ではないはずだ。事業はお金を産むための作業ではなく、社会に価値を提供する行為。積み上げた価値の先にビジョンは存在する。自身が提供する価値の先にあるものに共感できなければ、提供し続けることは確かに難しい。多様性への対応が求められる現代では、会社はビジョンを描き、共感する人々が集まるようにしていくことが求められる。

青野「ビジョンはこれからの時代ますます大事になってくるでしょう。多様化が進み、会社にとって従業員か否かという線引きすら大した問題ではなくなる。すると、そこに集まる理由や目的が重要になります。つまり、ビジョンがなによりも大切になる時代へ向かっている。世の中の会社はビジョンについてもっと真剣に考えた方がいい」

「社会にどのような価値を提供し、どのような世界を実現するか」ビジョンは個人、会社問わず多様化が進む社会において重要な価値基準となる。そして、どんなに優秀な経営者が生み出したビジョンも、時代や社会の要請、共に実現を目指す仲間に合わせ、常に変化を重ねていかなければならない。

青野「たとえば私の前職のパナソニックでは松下幸之助という強烈なカリスマがおり、彼が書き残した言葉が社内にはたくさん残っています。ただ松下幸之助も亡くなっているわけですから、ビジョンは時代に合わせて磨きをかけていかなければいけません。ブラッシュアップを繰り返し、毎年変わるくらいでもいいはずです。私自身、社内で企業理念を伝えるときは、変えるつもりがあることを共有するために(案)と付けるようにしています。それは時代や会社の状況の変化等に合わせて、その時々で皆が魂を込められるものにしていかなければいけないから。それが経営者の一番の仕事だと私は考えています」

働き方変革の先駆者として、サイボウズが実践してきた3つの要素と、今後企業に求められるビジョンの重要性について語っていただいた青野氏。このビジョンの話は現代のキャリア形成においても重要な要素になってくる。多様化の進むこれからのキャリアをどう歩むべきかという問いに対し、青野氏は以下のようにコメントを残してくれた。

青野「言うまでもなく、骨を埋めるまで働く時代は終わりました。どの会社に属すかではなく、仕事人として自分は何を目指しどのようなキャリアを形成していくかを考えなければいけない。自分はどうしたいかという、ビジョンが個人においても大事になってくる。人手不足も明らかで、働き手の方が強いのも事実です。自分がどう働きたいかを明確にし、受け入れてくれる会社で働けば良い。自分の描くビジョンのために、わがままに仕事人生を作っていきましょう」

サイボウズ・青野慶久氏

Photographer: Kazuya Sasaka